インタビューvol.1 原嶋亮輔さん 白岩玲子さん

インタビュー

2022.06.16

工芸ディレクターが語る、金沢と工芸

 今年度から金沢クラフトビジネス創造機構に、「生活的な工芸」と「技術的な工芸」の視点から、新たな工芸ディレクター2名が就任しました。デザイナーと作家、それぞれの立場から長年「工芸の現場」と向き合ってきたお二人。今回は新ディレクターのお二人と、美味しいコーヒーをいただきながら、ご自身のこと、そしてこれからのビジョンなど、お話をうかがってきました。

いろんな素材・ジャンルの“職人”と仕事がしたくて

―まず、改めてお二人のご来歴からお聞かせ下さい。

原嶋:はい。僕は千葉県の出身なんです。高校生の頃から「美術」というものを意識するようになって、そんな頃に「KIDI(※)」の存在を知りました。「金沢」や「京都」といった日本の伝統が残る街への関心があったこともあり、KIDI入学と同時に金沢にやってきました。
(※)KIDI…ニューヨークにあるパーソンズ・スクール・オブ・デザインと完全提携したデザインスクールとして1992年金沢に開校。2009年閉校。
昔から「職人」に対する憧れがあって、「職人さんと何か仕事がしたい」と漠然と思っていたんです。それも、いろんな素材・いろんなジャンルの職人さんと。自分自身が作り手になるという道も、もちろんあったのでしょうけれど、そうなると「何か一つ」に絞らなくてはいけなくなる。でも「デザイナー」という立場からものづくりに関われば、いろんな職人さんと仕事ができるのではないか、そう考えたんです。
KIDI卒業後、関東に戻るのか自問した時に、職人さんと仕事をしたいなら、やはり金沢だろうと。当時は何のツテもありませんでしたが、地元のデザイン事務所数社で経験を積ませていただき、その後独立しました。かれこれもう20年以上金沢にいるので、今では僕が県外出身者だと知っている人の方が少ない気がします(笑)。

工芸ディレクターのお一人、デザイナーの原嶋亮輔さん
原嶋さんがデザインに関わった山中漆器のテーブルウェアブランド「SO/そ」

日常の中で「工芸」を吸収できた

白岩:私は福島県の出身です。とにかく「やきもの」がやってみたくて、大阪の専門学校に進み、3年間そこで基礎的な勉強をしました。大学に編入してからは日本各地の作家さんを訪ねたり、とにかく“やきもの漬け”の学生時代をおくります。金沢に来ることになったのは、大学の先生が「卯辰山工芸工房」の存在を教えてくださって、受験したのがきっかけです。大阪の学校では「やきもの」といっても「立体造形」や「オブジェ」といった“アート寄りの陶芸”だったので、「工芸」については当時全く予備知識のない状態でした。

白岩さんの作品「白い器」

白岩:なので卯辰山に来てから、「工芸」というものを浴びるように吸収させていただいて。私は陶芸専攻でしたが、隣にはガラスの人がいて、二階には漆や金工の人がいてー…。友人同士なので部屋を行き来するうちに、自然と他の分野の制作行程も吸収している自分がいました。同時に、金沢の歴史や加賀藩御細工所について館長が聞かせてくださったり、専門員さんや事務員さんからも「氷室饅頭ってね…」といった具合で金沢の風習を教えていただいたり。日常の中で、「工芸」「金沢」というものについて、肌で感じることができました。
研修所を出た後は、金沢で唯一“ガラスと陶芸の窯”を製作している会社に就職し、陶芸関連の“裏方仕事”というものを学ばせていただきました。休日は「おしがはら工房」という市の施設を借りて制作を続け、その後卯辰山工芸工房の専門員になる機会をいただきます。

工芸ディレクターで、自身も作家の白岩玲子さん

「作り手」と「使い手」の架け橋に

―そんなお二人が、金沢クラフトビジネス創造機構のディレクターに就任されたのはどのような経緯があったのでしょう?

原嶋:僕自身デザイナーとして、ずっと作り手さんと関わりながら仕事をしてきました。そこでは「作り手」と「使い手」をつなぐ「繋ぎ手」としての役割が多かったんです。僕はデザイナーとして作家さんや職人さんの話も聞けるし、それに対しての提案もできる。逆に、「作家さんに頼みたい」という人たちの気持ちも汲むことができる。両者の間に立って、互いの意見を咀嚼してより良い形に落とし込むー…。そういう仕事を長年やってきました。
そんな時にちょうど今回のディレクター募集の話をうかがって。ずっと間に入る立場にいた自分だからこそ、そして経験を積んだ今だからこそできることもあるかもしれないと思い、応募しました。

photo: Nik Van der Giesen

白岩:私は卯辰山工芸工房の研修者として制作をしていて、何年かして専門員として務めることができたんです。そこでは、作り手としての研修者を“サポートする”という立場を初めて体験させていただいて。その中で、店舗やギャラリー・美術館といった場と、作り手の間に入ってスケジュール調整や意見交換など経験させていただくうちに、自然と「こういう仕事ができたらいいな」と思うようになっていました。
また、作家として金沢クラフトビジネス創造機構さんが主催するセミナーにも参加させていただいていました。そこでは講師の先生も個人ではお会いできないような方々でしたし、たまたま席が隣になった作家さんも初めてご挨拶する方だったり。年齢や立場、分野の違いを超えた出会いがそこにはたくさんあって、年に数回のその場が私にとってはとても良い刺激になっていたんです。そこにディレクター募集のお話をうかがって、自分自身が作り手であるからこそできることがあるのではないか、と思い挑戦してみました。

「好きなこと」をして、生きていくために

―金沢クラフトビジネス創造機構のステートメントとして、「金沢のクラフトのビジネス化を推進する」とありますが、お二人は、その意味をどう捉えておられますか。

原嶋:「物をつくるのが好きな人達」が、“作り手”になっているわけですが、そういう人たちが「自分のつくりたい物」を作って生活ができているかというと、全員がそうとは言えない状況なわけです。けれど、特に今の時代は「好きなことをしながら、ライフスタイルを築いていく」ということが誰にとっても価値のあることだという考え方が広まってきているし、僕自身それは大事なことだと思っています。
もちろん、「好きなことをして食べていく」ということの中身は楽しいことばかりではないけれど、ちゃんとそこにも向き合ってほしいという想いがあって。楽しさの中にもある「自分なりの試練」を受け入れてほしい。そこを避けるとつくるものは“趣味半分”になってしまうし、結果として「別の仕事をして生きていければいい」というのは、正しくないのではないかと思うんです。

―白岩さんは、ご自身が作家であるお立場からどうお考えですか?

白岩:もちろん、プロモーションが得意な作家さんもいれば、そこよりも“作ること” 自体に喜びを感じる作家さんもいらっしゃると思います。「こんな風になればいい」と思い描く姿って、何かひとつの正解があるわけじゃなく、人によってみんな違うと思うんですね。だからまずは皆さんともっと簡単にコミュニケーションが取れるような環境にしていって、それぞれの想いをちゃんとうかがった上で、「だったらこういう可能性もありますよ」と、各人の意向を反映した提案をしていけたらいいですよね。

もっと工芸を「普通」なものにしていきたい

―お二人が就任期間中にされたいことはどんなことですか?

白岩:機構の中に入ってまだ2ヶ月なので、前任の方がされていたお仕事を後任として引き継ぐだけで今はてんやわんやしておりまして(笑)。今までは外側からしか見えていなかったのですが、今度は内部の方々から、いろいろなやり方を吸収させていただいている状況です。これまでの11年間の積み重ねをしっかり継承しながらも、「工芸」というものに対する印象を、また一つ新しくしていけたら良いなと思っています。

原嶋:僕はシンプルに「面白いこと」がしたいですね。やっぱり自分がそう思えることでないと人にも響かないと思うし、自分自身も「つくる側」の当事者でありたい。そのためにこの立場を最大限に活かして一緒にものづくりをしていきたいと思っています。
方向性ということで言うと、僕はコンテンポラリーデザインという領域で作品をつくっているので、「コンテンポラリー」をひとつのキーワードに金沢から工芸を発信していけたらいいなと思っています。アートコレクターがコレクションに入れたくなるような、斬新な工芸がもっと金沢から出てきても面白いですよね。
同時に、「もっと工芸を普通にしたい」という想いもあって。工芸が、どこか“特別な場所”に行かないと見られないようなものではなくて、こういうカフェに普通にあるものが、実は地元の作家さんが日々の中でつくっているものであったり、そんな状況にしたい。
「コンテンポラリーな工芸」という先ほどの話とは真逆の方向に思われるかもしれませんが、どちらの方向性も僕は大事なことだと思っているんです。

何でも話して、「使って」ほしい

―みなさんに、どんな風に金沢クラフトビジネス創造機構を使ってほしいと思いますか?

原嶋:何でもいいから、まず話をしに来てほしいですね。とにかくコミュニケーションを取らないことには始まらないので。もし、金沢クラフトビジネス創造機構の事務所に来づらさがあるようなら、もう「こっちから行くから、呼んでくれ」と最近では言っています(笑)。変な話、愚痴とかでもいいんです。それすら聞けなかったら何も分からないので。

白岩:現在は金沢クラフトビジネス創造機構の会員さんであれば、事務所の撮影設備や横のレクチャールームも利用していただけるのですが、もっと皆さんにとって「使える」場所として周知していけたら良いのかなと。
会員になると何か縛りがあるのでは、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的にはこちらからの情報提供のメールマガジンがくるだけで、あとは何もないのでご安心ください(笑)。

金沢クラフトビジネス創造機構内にある撮影設備

―会員の対象は「作家」だけではなく、クラフトに関連する事業者であれば誰でも登録できるんですよね。

原嶋:はい。あくまでもクラフトビジネス創造機構は「金沢のクラフトのビジネス化」を目的としているので、対象は作家さんに留まりません。むしろ僕は、そこがすごく大切だと思っていて。異業種交流というか、その辺りをもっとクロスオーバーさせていきたい。実際外の人たちの方が「工芸」というものに興味をもっていたりもします。作り手側から見た「工芸」だけだと、どうしても狭くなっていってしまうので。

いろんな視点を取り込んで、「自分では想像できなかったもの」を

―周辺領域との連帯。それはまさに金沢クラフトビジネス創造機構の役割ですね。

原嶋:様々な立場の人が工芸に関わるのは良いことだと思うんです。例えば、つくる物は素晴らしくても、それをちゃんと発信しようとしたときに「PRができる担当の人材がいない」とか「予算がそこまでとれません」で話が終わったりしがちです。
でも、「いいものをつくる」ことがゴールではないはずで。ちゃんと知られないことには物の価値も決まらない。そこから先が本当にいつも難しいんです。本来であれば、使い手の手元に届くまでのビジョンが、作る段階から含まれているべきだと僕は思います。今自分がこういう立場になったからこそ、いろんな立場の人たちの力を借りられる状況をつくっていきたいなと。

白岩: そうですね、もちろんご自身でプロモーションまで上手にされている方もいれば、この機構にも普段から参加してくださっている方もいらっしゃると思います。中には「私とはちょっと違うわ」とお感じの方もいらっしゃるかもしれません。
そういった方にも、こちら側からお声がけしていって、他の人の作品を見たり、「こういうやり方もあるんだ」といった、「自分の視野からは想像しきれていなかったもの」が形として見えてきたら、少しでも「自分の道が前に進みそう」と感じていただけるのではないかなと。そういった機会をご提供していけたらいいのかなと思っています。

「金沢でものづくりをする」ことが、羨ましがられる状況に

―それでは最後に、お二人の今後の意気込みをお願いします。

白岩:金沢に工芸を学びに来た人達が、そのまま住んでいただくというか、そういったことにつながっていくといいなと思っています。外とのつながりももちろん大切なんですけれど、金沢の中にいる人たち同士でより一層つながったり、新しいことがどんどん生まれるような環境がつくれると良いなと思っています。

原嶋:改めてじゃないですけれど、「金沢」ということが、工芸に関わる人たちにとって“良いこと”として働く状況になっていってほしい。それは金沢で「ものをつくって生きていける」ということはもちろん、金沢でものづくりをしていること自体が、他所から羨ましがられるような環境というか。
今実際、外からの「金沢と工芸」のイメージはかなり高いです。けれども、それを本当に体現できているのかというと、必ずしもそうではないことも多々あると思います。
僕自身が感じているそのギャップを埋めていきたいというのが、意気込みというか作り手の皆さんを巻き込んで挑戦していきたいところだと思っています。

(取材:2022年5月/協力:townsfolkcoffee)

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原嶋亮輔 Ryosuke Harashima
1980年生まれ。石川県・金沢を拠点に、工芸・工業の作り手と協同し様々な素材・手法を合わせたデザイン、商品開発に取り組む。2018年より古道具を用いたコンテポラリーデザインの家具コレクションSTILLIFEを展開。2022年から金沢市の工芸ディレクターとして幅広い分野を横断した工芸活性化に関わる。
https://ryosukeharashima.com

白岩玲子 Reiko Shiraiwa
福島県出身。大阪芸術大学卒業。2000年金沢卯辰山工芸工房入所。2003年に修了後、共栄セラミック株式会社に勤務。2011年より金沢卯辰山工芸工房陶芸専門員、おしがはら工房の管理業務を経て市内で制作を続ける。2022年より金沢クラフトビジネス創造機構生活工芸ディレクター就任。

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