インタビューvol.2
みやもとともみ(宮本知己)さん アヤベシオリ(綾部史織)さん

インタビュー

2022.07.04

異なる目線で、肩を並べながらつくる。

7月から「dining gallery 銀座の金沢」にて、九谷焼作家・宮本知己さんと綾部史織さんの二人展「相相 -あいあい-」が開催されます。お二人は九谷焼技術研修所の同期生。宮本さんは置物など「型もの」を、綾部さんは藍九谷の「染付」を中心に、それぞれの持ち場や得意分野を生かしながら、互いに日々切磋琢磨されています。今回は展覧会を直前にしたお二人に、制作への想いや二人展への意気込みをうかがってきました。

小松市の「九谷セラミックラボラトリー(通称:CERABO KUTANI)」にて

九谷焼と二人の出会い

ーまず、お二人の最初の出会いはどこだったのでしょう?

宮本:「九谷焼技術研修所(※)」ですね。綾部さんとは同期だったんです。入学してから3年間まるまる一緒に過ごしました。

(※)石川県立 九谷焼技術研修所…石川県能美市にある、九谷焼を担う人材育成を目的として設立された県立の施設。

ーそうだったんですね。では、宮本さんから研修所に入られるまでの経緯をお聞かせ願えますでしょうか。

宮本:はい。私は小松市八幡で九谷焼の窯元の家に生まれ育って、10代の頃から家の仕事を手伝っていました。私にとって「九谷焼の仕事」は当たり前に家にあるものだったし、父も「暇なら手伝え」と(笑)。
やっていくうちに家の仕事はある程度できるようになったけれど、「スタンダードな九谷焼の仕事」というものを、当時の私は知らなかったんですね。うちは置物中心なので、一般的な九谷焼の絵付や轆轤(ろくろ)挽きなどは一切やっていない。「九谷焼を仕事にするなら、全体像をちゃんと知っておいた方がいい」という父のすすめもあって、じゃあ学校(九谷焼技術研修所)に行ってみようかなと。
あとは「一緒にいろんなことをできる友人が欲しい」という想いもありました。家で仕事をしているだけだと、同じくらいの年代の同業者と、なかなか知り合わないんですよね。

宮本知己さん。代々九谷焼職人の家系。

ー続いて綾部さん。埼玉県のご出身ですが、どうして石川県の九谷焼技術研修所に来られたのでしょう?

綾部:大学在学時、インターンとして、伝統工芸の技術を必要とするデザイナーや建築家をつなぐような会社や、プロダクトデザインを主にしている事務所に出入りさせてもらうようになりました。けれど、そこで痛感したのは「デザイナーとしてデザインするのでなく、自分の手でものを作りたい」ということでした。
私は「自分の手を動かすこと」が好きで、中でも絵を描くことが好きだったんですね。大学時代は自分で絵を描いては細々と販売したりもしていたのですが、それだけで食べていける自信はなかった。「絵を描くことを生業にする」「手に職をつける」と考えた時に、もともと興味があった伝統工芸を色々と調べました。その中で自分のやりたいことと感覚が近いという印象を受けたのが「九谷焼」だったんです。さらにはその技術を学べる研修所があることも知って「ここにいけば手に職をつけることができるかもしれない」と思い、石川県に来ました。

ー数ある伝統工芸の中でも「九谷焼」が綾部さんにヒットした、というのはどんなところだったのでしょう?

綾部:九谷焼技術研修所の卒業制作を見ていて「すごい自由だな」と感じたんですね。「九谷焼だったら何でもできるんじゃないか」と思えたというか、自分の中で「伝統工芸」に対するハードルがぐっと下がったんです。

綾部史織さん。自身の「藍九谷」の作品を手に取りながら。

ー対して宮本さんは代々続く窯元のご出身ですが、研修所に入られて何か意識の変化などはありましたか?

宮本:はい。それまではあくまでも「父の手伝い」というスタンスで仕事をしていたんです。けれど研修所に入って、初めて「“自分の仕事”をしなくては」と思うようになりました。なので、研修所に入ってからの方が、父に「教えてもらっている」という感覚がありますね。
あとは、自分で作品をつくるようになって、父や祖父の凄さが少し分かるようになってきたというか。「原型をつくる」「いちからつくる」ということが、すごく難しくて、かつ大事なことなんだなと。それまでは、父が形作ったものをただ仕上げているだけだったので。

神楽の衣装を纏う童子(奥)など、伝統的なものから可愛らしい動物まで、幅広い宮本さんのモチーフ。

九谷焼で表現する“愉しみ”

ー綾部さんは研修所卒業後、藍九谷の大家である山本長左先生に師事されていますが、「藍九谷」を選ばれた理由は。

綾部:「染付(そめつけ)」が好きだった、ということが一番大きいのかなと思います。研修所では一通りの技法を授業で学ぶのですが、長左先生の「染付」の授業が自分の中ですごくしっくりきたんです。「一色で表現する」ということにも興味があって。
いわゆる「上絵(うわえ)」は釉薬をかけて白くなった器の上に絵付をしていくのですが、「染付」はその釉薬をかける前の素焼きの状態に呉須で描いていきます。だからよく見ると、釉薬の下に絵の具が入っているのが分かるんです。絵付けしていると本当に素地に「染め付けている」感覚があって、それも面白いなぁと。
一方で、釉薬のかけ方や描くときの呉須の濃さ、窯の状態で線がぼやけたり発色が違ってきたりもして、ギャンブル的な要素もあるというか(笑)。けれどそんな風にワクワクしたりドキドキしたりしながら焼き上がりを待つところも含めて好きですね。

綾部さんの作品。藍一色の濃淡や線の太さで様々な表現をする藍九谷。
素焼きした状態の器(写真奥)と、釉薬をかけて白く焼き上がった器(手前)

ーでは宮本さんはご自身の制作の中で一番好きな過程はどこですか?

宮本:やっぱり「原型」をつくることでしょうか。自分の中では「型をとる」までがひと仕事というか、一番大変であり一番楽しいところです。でも、作れば作るほど「自分はまだまだだ」ということを思い知らされますね。
実は私の祖父自身も“置物屋”の孫なんです。かつての置物屋には「原型師」と呼ばれる人たちがいて、型をつくっていたんです。今でも自宅や親戚の家に彼らが原型を作った「型」が残っているんですが、本当に凄い。今は鋳込みの型が増えてきていますが、昔の「手起こし」の為に作られた型は迫力が違います。
うちの父も祖父も東京の師匠のもとで彫刻を学んでいるのですが、自分の頭の中でイメージしたものをさらっと形にできてしまう。私なんて毎度「あーでもない、こーでもない」と悩みながらつくっているというのに(笑)。

ー九谷焼の置物って、表情やディテールまで本当に細かい造形表現がなされていますよね。

宮本:そうですね。九谷焼の粘土は可塑性が高いので、細かいものも作りやすいという特性はあると思います。

普段の生活から生まれてくるもの

ー宮本さん自身は作家として活動されていますが、今も九谷焼に受け継がれている「分業制」についてはどう思われていますか?

宮本:やっぱり、何でも一人でやるのって限界がありますよね。ある程度以上の質のものをまとまった数量で出していこうと思ったら、分業制というのはとても理にかなっていると思います。うちも元々は「素地屋(職人)」だったけれど、「それだけではいけない」ということで、絵付けまで自分達でやるようになって「作家」として一貫制作していますが、父と二人では多くの数は作れません。それに、素地の仕事もしているので、半分作家半分職人というスタンスでいます。
置物は一貫制作ですが、ろくろは専門外なので器を作る時はろくろ師さんにお願いしています。自分で素地を挽いて、自分で絵も描いて…という方もいらっしゃいますが、私はそこまで器用にできない。研修生の頃は学校が一貫制作の方針なのでろくろも自分で挽きましたけど。でも、ろくろを挽いた後って手がプルプル震えちゃって、細かい絵が描けないんですよ(笑)。ろくろって力仕事なので。

九谷セラミック・ラボラトリーの体験工房

綾部:私も器などの素地はろくろ師さんにお願いして、造形的な「形があるもの」は宮本さんに教えてもらって自分で作っているんです。お父さんの直樹さんに教えていただいたりも。今、基本的に自分の作品制作は宮本さん家の工房でさせてもらっています。

宮本:研修所1年生の夏休みくらいから、綾部さんとはうちで一緒に仕事をするようになって。自分のものって作っているうちによく分からなくなってくるけれど、人の作品だと色々なことがよく分かったりするので、私も勉強になっています。
今は綾部さんが長左先生の工房に行っている時か寝てる時以外は、だいたい年間360日くらいうちにいますね(笑)。

綾部:なんなら、ご飯も食べさせていただいてますし(笑)。

ーもう家族のような関係性なんですね。お二人で共同制作されている作品もありますが、それらはどういう流れで生まれるのでしょう?

宮本:どちらかというと、私が「こういうの面白くない?」って思いつくタイプで。

綾部:それに対して私が「ああ、いいね〜」と言って、作り始める。

宮本:わざわざ「打ち合わせ」をするというより、ご飯食べたりお茶を飲みながら、普段の生活の中で自然とアイディアが生まれていく感じですね。

「違う」からこそ、おもしろい

ー改めてになりますが、お互いのどんなところを尊敬していますか?

綾部:宮本さんはやはり「形」というか、造形がめちゃくちゃしっかりしているところですかね。伝統的な意匠のものもよく作っていますが、その中にもどこか可愛らしさがあるというか。

宮本:綾部さんは「とにかく絵が好きなんだな〜」と、いつも感心しています。「好きなもの」って、見ている人にも自然と伝わってくるじゃないですか。あとは独特な「ゆるさ」がある作風が魅力ですよね。

私は絵を描くのが苦手なので、綾部さんには「何を描いたらいいと思う?」ってよく相談するんです。私はずっと伝統的なものばかり見て育ってきているので、「決まったもの」を描くのは楽なのですが、それだけでは面白くないだろうと。でも逆に、綾部さんや外からきた人たちには「トラディショナルなもの」の方が新鮮に映ることもあるようで。「古くさいな」と私が思うものが、彼女たちの目には「レトロで可愛い」と映ったり。それはずっとこの土地で育った私にはない感覚なので、おもしろいなぁと。

チャイナ風の女の子は、長年綾部さんが描き続けているモチーフ

ーお互い良き相談相手になっているんですね。

宮本:多分、私たちは「目的」が似てるんだと思うんです。「九谷焼を作っている」、というと「芸術家だ」と言われることが多いのですが、私にとっては九谷焼は「芸術」であるより先に「我が家の生業」でした。綾部さんも「生業」としたいと思って研修所に来ていたので。

綾部:はい、「これで飯を食う」という(笑)。

宮本:もちろん「芸術」として、創造することや表現することは大変なことだと思います。そういうところも学んでいきたい。けれど、「生業にする」というのは、また違った覚悟が必要です。そこを共有できたのは大きいと思います。

互いに制作した九谷焼のマグネットチャームを交換して

ーそんなお二人で、初の東京・銀座での二人展です。最後に意気込みをお聞かせください。

綾部:楽しみであると同時に、「本当にお客さん来てくれるのかなぁ」「楽しんでもらえるかなぁ」といった不安もあって。色んな意味でドキドキしています…!(笑)

宮本:今回テーマなどは特に決めていないのですが、「今できるもの全部」を出しきるつもりです。食器もあれば置物もありますし、トラディショナルなものもあれば遊びがあるものもある。価格帯も、置物などの大物は手間がかかる分どうしても高めになってしまいます。今回の二人展では出品しませんが、小物やアクセサリーなど、小さなお子さんや初めて九谷焼を買うという方にも手にとっていただきやすいものも、普段は作っています。そんな二人の「幅の広さ」みたいなものを楽しんでいただけたらなと思います。

(取材:2022年6月/協力:九谷セラミック・ラボラトリー)

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みやもとともみ(宮本知己) Tomomi Miyamoto
石川県小松市八幡生まれ。2016年九谷焼技術研修所本科卒業。2017年同研究科卒業。父 宮本直樹に師事。2021年九谷焼伝統工芸士(成形部門)認定。
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アヤベシオリ(綾部史織) Shiori Ayabe
埼玉県生まれ。2016年九谷焼技術研修所本科卒業。2017年同研究科卒業。卒業後、山本長左に師事。
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