インタビューvol.16 福光松太郎(金沢クラフトビジネス創造機構理事
長)×原嶋亮輔(工芸ディレクター)

インタビュー

2024.04.09

今立ち返りたい「金沢クラフトビジネス創造機構」の“原点”

2014年10月、銀座にて開業した「dining gallery 銀座の金沢」。私たち金沢クラフトビジネス創造機構が当初から運営を担っています。10年目を迎える今年、「KOGEI Art Gallery 銀座の金沢 」とショルダーネームも新たに、工芸ギャラリーとして銀座5丁目にリニューアルオープンいたしました。みずみずしい才能を世にお披露目する「ギャラリー」としての機能を強化し、新たな船出を切りました。
今回は移転オープンを記念して、金沢クラフトビジネス創造機構 理事長・福光松太郎と、工芸ディレクター・原嶋亮輔との特別対談をお届けします。オープンに込めた想いや、そもそもの機構の成り立ちなど、今改めて立ち返りたい「金沢クラフトビジネス創造機構の原点」について語り合います。

金沢クラフトビジネス創造機構 理事長・福光松太郎(左)と、工芸ディレクター・原嶋亮輔(右)

原嶋:なぜ今回、改めて福光さんにお話をうかがいたかったかというと、このタイミングで「銀座の金沢」としてのメッセージを、今一度深掘りしたいということ。そして僕自身、金沢クラフトビジネス創造機構の工芸ディレクターを2年務めてきて、今後どういう方向性でやっていったらよいだろうということを、個人的にも改めてお話ししたいなと。

2024年3月にオープンした「KOGEI Art Gallery 銀座の金沢」1F「Art Exhibition」
2F「 KOGEI Exhibition」

原嶋:ちなみに、福光さんは金沢クラフトビジネス創造機構の理事長をはじめ、「KIDI PARSONS(金沢国際デザイン研究所)※」の理事長を務めたりと、金沢の工芸シーンにかなりコミットされてきたと思うのですが、そもそも工芸に関わるようになったきっかけは、何かあったのでしょうか?

※KIDI PARSONS(金沢国際デザイン研究所)…ニューヨークにある「パーソンズ・スクール・オブ・デザイン」と完全提携していたデザインスクール。1992年金沢に開校、2011年閉校。原嶋ディレクターも卒業生の一人。

福光:なんでなんやろね(笑)。おそらく、ユネスコの「創造都市」の申請(※)をしていた頃に遡るのではないかと思います。私はその実行委員長を務めていたので。
ユネスコの「創造都市」に、金沢は「クラフト分野」、つまり「工芸分野」で登録されました。申請に際して一つ「分野」を選ばなければいけないので、いくつか候補がある中で、金沢においては「工芸」がわかりやすいだろうと。

(※)…2008年に金沢市がユネスコ創造都市ネットワークにクラフト分野で申請。2009年に登録認定された。

戦略的に育まれた、工芸都市・ 金沢

福光:つまり「工芸ありき」で最初から申請していたわけではなくて、「創造都市/クリエイティブ・シティ」という考え方自体が、金沢に相応しいのではないかという想いが、私たちにはあったんです。
かつて前田家は、それを「工芸」でやると決めたわけです。加賀藩は力を持ちすぎた外様大名として幕府から「武装を放棄せよ」と迫られます。「武」ではなく「文」、つまり「文化で生きていく地域」にしなければならなかった。
そこで「地域経営」を「文化」で行うにはどうしたらいいか。今でいう「創造都市会議(※)」のようなものを、利常を中心に開いていたんです。本阿弥光悦、小堀遠州をはじめとした数寄者や知識人が、そこには出入りしていて、今でいう“コンサルボード”みたいなことをやっていた。そこでお殿様と色々議論した結果「工芸がいいだろう」と。そこで、京都をはじめ全国から腕のいい職人達を金沢にスカウトしてきた。つまり“意図的”に、この地を「工芸都市」にしたんです。

(※)金沢創造都市会議…金沢をとりまく都市問題の創造的かつ実践的な解決手法を提案する、公開シンポジウム。2001年から2022年まで、隔年で開催。

先ず、「トップ」から打ち出す重要性

福光:当時の「工芸」というのは、「アートの産業化」というレベルでした。まず最初に職人達には金沢城の調度品のような“高級品”を作らせた。今でも随分多くの名品が残っています。先に“トップのもの/一級品”を作ることで、あとは城下のまちなかへも、工芸の裾野が自然と広がっていく。やがて他藩からも注文が来るようになって…と、工芸が「産業化」していくわけです。

福光:ここにおいて大事なことは、工芸は「文化」であるけれども「産業」でもあるということ。「クラフト・プロダクション( 職人的生産)」というかね。アートが「一品もの」なのに対して、大量生産は「山ほどつくる」わけです。工芸はその中間というか、「複数」は作れるけれど、「大量」にはつくらない。この考えを基盤として、実際にこの地で地域経営がなされていたということを、加賀藩の歴史が証明しています。
また、これが完全な「アート」の方に行ってしまうと、「意図的な産業化」が難しい。なぜなら、そもそもアートは「産業」ではないからです。

原嶋:なるほど。

金沢に合った「クラフト・プロダクション」の規模感

福光:金沢の産業は工芸に限らず、どの分野においてもこの「クラフト・プロダクション」的な考え方が合っているし、採用できるのではないかと思っています。例えばうち(福光屋)は日本酒を作っているけれど、山ほど作っているわけではありません。「ある職人のチーム」が、「ある程度の量」を作って、「そこそこの価格」で販売している。

そして、クラフト・プロダクションの価値を高めていくためには、良いものをつくる「技術」はもちろん、もう一つ、「デザイン」の力が必要だと思った。それで金沢に「KIDI」のような学校をつくったわけです。
地方ではどの分野でも「大量生産」では勝負できません。そこで戦ってしまうと、ナショナルブランドや全国ブランドに負けてしまう。そうではなくて、「そこそこの量」だけれど、「良いもの」が作れる、そういう都市になっていけば産業として回るなと。「工芸」がその最たる例というか、一番わかりやすいのではないかと。

技術は学んでも「食べていく方法」は学んでいない

福光:話をご質問に戻すと、私が直接的に工芸に関わるようになったのは、機構の前身である「金沢ファッション産業創造機構」から「金沢クラフトビジネス創造機構」へと改変された時に、山出保・元市長から「あんたやってくれんか」と理事長を頼まれてからです。
個人的にも「もっと“時代に感応した工芸”ができるのではないか」という想いは持っていたので、工芸をよりクリエイティブな方向にするために自分たちにできることを考えていこうと思いました。それで色々話を聞いているうちに一つのことがわかってきました。
結局、作家さんたちは「技能/テクニック」は学校で習うけれども、ブランディングやマーケティングといった、言うなれば「食っていく方法」がわからないと。

原嶋:ええ、よくわかります。

作家のための「ビジネススクール」として

福光:「金沢クラフトビジネス創造機構」は「ビジネス」と銘打っているのだから、こちらは「工芸におけるビジネススクール」のような役割を果たすのが良いのではないかと。ですから当初は「ブランディングとは」「プライシングとは」といった、まるで経営学部のようなテーマでたくさんの講義をしましたよ。私自身が講師を務めたこともありました。

原嶋:「プライシング」というのはクラフト・プロダクションを考える上で、一つ重要なテーマですよね。

福光:そうです。要するに「値段をどうつけるか」ということ。「値段をコストからつけてはいけませんよ」と。コストから考えるのは「プライシング」ではなく、「マークアップ(※)」です。それをやっていてはブランディングには絶対に繋がっていかない。
値段は市場が決めるものであって、「どのくらいの値段なら通用するか」そして「自分自身をどういうブランドとして世に打ち出していきたいか」ということをまず考える必要があるのです。

(※)マークアップ方式…製品原価に流通コストや利益を上乗せし、その合計額を販売価格とする、原価に基づく価格決定方法。

福光:ただ、最近の変化として感じているのは、そういったプロデュースを自身でできる作家が増えてきているということ。「自分の打ち出し方」というか、「作風の生かし方」というものをよくわかっている。機構として卯辰山工芸工房と共同で活動を展開してきたのも、功を奏しているのかもしれません。

いつの時代にも通ずる、市場拡大のプロセス

原嶋:ここまでお話をうかがってきて、僕から質問しても良いですか?前田家の話でいえば、システムとしては殿様など「頼む側の人」がいて、それを職人たちが生業としてきたのが昔だとしたら、今の時代に作家側に求められているのって、「自主性」じゃないですか。旦那衆だって、現代は不在もしくは匿名的になってきている。そういう意味ではまた昔と状況が異なる中で、「作ったその先の出口」をどう考えたらよいものかと。

福光:時代が変わったとはいえ、根本的には一緒だと思うんですよ。前田家の頃は、一番のお客さんは「お城」だったわけでしょう。そこからだんだんと城下にお客さんの裾野が広がって「産業」になった。そういうプロセスは、いつの時代でもあると思うんです。今なら「世界の市場」に打って出て、そこからどんどんコレクターが増えていく図式というか。
我々において肝心なのは、そういった動きをどうやって支援していくかということ。だからこそ「銀座の金沢」があるといっても過言ではないわけです。ここを使ってもらって、新しい才能を世に知らしめる。そしてこの場としての広報機能も高めていって、作家さんの広報力を補完できるようになれば理想的です。

「作風」を確立する

原嶋:もう一つ。先ほどの「中量的なものづくり」が金沢における健全な経済活動の在り方だということにはすごく頷けると同時に、今回「銀座の金沢」の1階(Art Exhibition)は、かなり「美術工芸/アート」の方に振っていると思うんです。そういう“作品性”が高いものを、例えば「3つください」と言われるとしたら…。作家としても毎回違うものを作りたいと思うだろうし、その辺に現実との乖離はありませんか?

福光:作家に「作風」というものが確立されているのであれば、別に全く同じものを何個もつくる必要はなくてもいいと思うんですよ。同じではなくても「あの作家さんのもの」というくくりの中での見え方ができているのであれば、それは「中量生産」と同義だと思います。なのでそこはあまり心配していなくて、とにかく大事なのは「美術工芸」の分野で「先端的に成功する」ということです。

チームでつくる、「工房」という在り方

原嶋:中量生産という意味では、「工房」としてスタッフを抱えて制作されている作家さんも出てきていますよね。

福光:「工房を設立する」ということは、工芸にとっては一番理想的な在り方ではないかと、私は思いますね。要するに、職人がチームを作るという。酒造りだって、チームでやっています。リーダーはいるけれど、彼一人で全部やるという類いのものではありません。

原嶋:チーム的なやり方が「ハマる人/ハマらない人」という問題もあるでしょうね。「全部自分でやりたい」という人もいるでしょうし。「そうでないと工芸じゃない」という意見もあったり。

福光:僕はむしろ、「工房的な在り方」が「工芸」で、「一人じゃないとできない」というものは「芸術」になるのだと思っています。
ただ一口に工芸と言っても、逆にチームではやりにくいものもあるでしょうし、そこは素材や分野にもよるのでしょうけれど。

作家に求められる「理」と「Thinking」

原嶋:そうですね。あとはもう「どうしても一人でやっていては追いつかない」という事情に迫られるというか、必然的なものとして「切り替えのタイミング」が訪れることもあるでしょう。自分一人で完結しなくなった時に重要になってくるのが「デザイン・シンキング」なんでしょうね。

福光:そうです。デザイン・シンキングというか、要するに「Thinking」ですね。一番大事なのは「自分の作風を創造できるか」ということと、「その作風を人に説明できるだけの“理”があるか」ということです。もちろん、何事も「やりながら考える」という側面はあるけれど、ある程度の見通しは考えておかないと、自分が何をやっているのかわからなくなってしまうからね。
そして作風が確立できたとしても、一つの作風ばかり続けていたら、いつか一斉に飽きられてしまう日がくる。それはつまり「中量生産を超えた」ということです。

原嶋:あぁ、なるほど。中量生産の定めはそこにあると。ちゃんと“限界値”があるという。

「アルバイトを本業にさせない」という“信条”

福光:そうですね、「価値を維持するための数」というものがある。そこで先ほど申し上げたような、価値を維持しながらも食べていけるような価格を設定することが肝要になると。「月いくらあれば食べていけるか」「何個なら作れるか」それらから逆算して価格を設定する。自分の作品と目指す価格にギャップがあるのなら、その差分を埋めるために知恵を絞る。そういうことが一種「頭の体操」になるし、意識が「自分の工房を“経営する”」ということに向いていく。

かつて私が機構の講座を担当していた時に、作家さんたちに話を聞いていると、作品制作では食べていけなくてアルバイトが本業になってしまっているという人もいました。補助的にやる分にはいいのだけれど、アルバイトが本業化した工芸作家にはなってほしくない。煎じ詰めれば、これが私たち金沢クラフトビジネス創造機構としての信条でしょう。

「カテゴリー」は行き来して「活用」するもの

福光:「銀座の金沢」の2階を「生活工芸」の位置付けとして、実用的な工芸作品を販売しているのは、1階で展示する作家たちが「もう少し稼げるように」という意味合いも実はあるんです。「美術工芸/アート工芸」というものを続けていくためにアルバイトをするくらいなら、生活工芸のものを作って売れれば、アルバイトよりもよいのではないかと。また、「ちゃんと売れるもの」が作れるということは、すごいことです。そのためにも、日常のものを作れる技量も同時に養って欲しいという想いがあります。

原嶋:そういう意味では、新たな「銀座の金沢」で1階と2階が分かれているというのは良いことですよね。つまり「私は1階 or 2階の作家」と、自身をカテゴライズするのではなくて、同じ一人の作家が「1階/2階をどう活用するか?」という視点を持ってもらえたら。

福光:そうなんです。「1階/2階」は分野としては分かれているけれど、作家にはそこを自在に行き来して、“活用”してもらいたいのです。そういうことに気づいてもらうためにも、金沢クラフトビジネス創造機構としての活動を地道に続けていかんとね。ある意味で、「もう一つの大学院」みたいな機能が、この機構にはあるんです。工芸の技術や技能ではなく、PRやブランディングを考える場としての。

アートとしての側面を見せる工芸作品を展示する1階の「Art Exhibition」
暮らしに取り入れやすい工芸品が並ぶ2階の「 KOGEI Exhibition」

「次の人たち」を育て続ける以外に道はない

原嶋:つまり「Thinking」ですよね。あとはやり方として、「すでに自分でブランディングができている人たち」により華やかな成果をあげてもらうための支援と、「まだその段階には至っていないけれど、情熱を持って取り組んでいる人たち」を底上げしていくような支援と。色々と有限な中で、どちらに力を入れていくのが、機構としてよい在り方だと思いますか?

福光:そりゃ…“両方”でしょう。そういう仕組み以外はありえないと思います。すでに十分力があるひとたちをプロモートして、フロントランナーとして活躍してもらうのは、工芸に限らず「金沢のまち」として重要なことです。同時に、「次の人たち」を育て続ける。言うまでもなく、彼らが次のフロントランナーだから。ただ両方やるには、予算が足りないという話なのかな(笑)。

原嶋:そういう意味では「1階」はトップランナーをお披露目する場であり、「2階」はそこに至るまでの道でもあると。

福光:そういうことですね。結局は「作家さん自身がどう変わるか」なんです。現状に疑問を持って、自分を変えていくことができるか。我々が提供できるのは気づきのきっかけに過ぎません。そのための地道な活動を、今後も続けていきたいですね。

(取材:2024年3月)

福光松太郎 Matsutaro Fukumitsu
1950年金沢市生まれ。1973年に慶應義塾大学経済学部を、1977年に慶應義塾ビジネススクールを卒業。同年、株式会社福光屋に入社。1985年に代表取締役社長に就任する(13代目当主)。1999年には、郵政大臣表彰、金沢市文化活動賞を受賞。2001年、石川デザイン賞受賞。2010年、藍綬褒章を受章し、現在は、金沢酒造組合理事長、(社)金沢経済同友会副代表幹事、金沢クラフトビジネス創造機構理事長などの公職も務める。
https://www.fukumitsuya.co.jp/

原嶋亮輔 Ryosuke Harashima
1980年生まれ。石川県・金沢を拠点に、工芸・工業の作り手と協同し様々な素材・手法を合わせたデザイン、商品開発に取り組む。2018年より古道具を用いたコンテンポラリーデザインの家具コレクションSTILLIFEを展開。2022年から金沢市の工芸ディレクターとして幅広い分野を横断した工芸活性化に関わる。
https://ryosukeharashima.com

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