インタビュー vol.15 岩井美佳さん(染色作家)

インタビュー

2024.01.26

誰かの記憶にも同期する「忘れたくない今」を染めて

2024年3月に東京国際フォーラムで開催される、「アートフェア東京2024」。日本各地から144ものギャラリーが集まる日本最大級のアートフェアで、今年も金沢クラフトビジネス創造機構が出展いたします。今回は昨年の「アートフェア東京2023」出展作家のお一人、染色作家・岩井美佳さんへのインタビューです。岩井さんは「線刻糊防染」という独自の技法を編み出して、アートフェア東京でもその技法を用いた新たな表現に挑戦してくださいました。染色との出会いからオリジナルの技法を開発するに至った経緯、アートフェア東京出展を経ての心境の変化など、たっぷりとお話をうかがってきました。

岩井美佳さん。自宅のアトリエにて

突然始まった入院生活で

「絵」は小さい頃から好きではあったのですが、それを将来仕事にして生きていくというイメージがあまり見えず。それでいうと中学生の頃までは「勉強」が一番得意なことではあったので、効率が良いのは普通に受験していける大学に行くことなのかなと漠然と考えていました。化学が好きだったこともあり、大阪大学の工学部に進学しました。あとは就職をして安定して暮らしていけたらなぁ…と。つまり、あまり深くは考えてはいませんでしたね。

けれど22歳の時、悪性腫瘍が見つかったんです。「5年生存確率は7割」と初めに言われました。入院することになり、友人たちが見舞いにきてくれて。その時にお花を持ってきてくれたのですが、長い入院生活の中で次々に枯れていく。『最後の一葉』(※)じゃないですけれど、ちょっと落ち込むようなことがあったときには、その枯れゆく花々と自分の状況を重ねてしまって、「枯れるなんて、縁起でもない」と当時は思っていたんですね。

※『最後の一葉』…オー・ヘンリーの短編小説。

日記のように続けた「花のスケッチ」

けれど入院生活が2ヶ月になり、あまりに暇だったので、手慰みにその花のスケッチを始めてみたんです。当時、就職活動用にカラーコーディネートの勉強をしていて、たまたま色鉛筆と紙は手元にあったので。日記をつけるようにスケッチを続けているうちに、「あれ、待てよ」と。毎日観察していると、植物なりに「最後まで咲こう」と工夫して生きていることに気がついたんです。そして、その様子も意外とかっこよくて。
「枯れる」ということに対してネガティブな印象しか持っていなかったけれど、「これはどうやら悲しいことだけじゃなさそうだぞ」と。そこからは「花にとっての“今この瞬間”を残したい」と思って描くようになりました。

岩井さんが描き溜めている花のスケッチ

「のこり3割」の可能性と、「好きなこと」をして生きる覚悟

幸い手術が成功して、私は無事退院できることになりました。「よかったよかった」と元通りの日常に戻っていこうとしていたのですが、段々冷静になってくると「生存確率7割」の「残りの3割」の可能性について考えるようになって。よく考えたら結構な確率ですし、もしそちらの方に転んでいたら…そう思うと「能天気に生きている場合じゃない。好きなことをしよう」と。

そこで、「絵を描きたい」「美大に行きたい」という胸のうちにあった想いを行動に移していきます。大学は一旦休学し、予備校に入って絵の勉強を始めました。ちょうど地元には金沢美術工芸大学がある。内心受かるわけないだろうと思っていたけれど、「好きなことをする」と決めたからにはダメでも受けてみようと。そしたらまさかの、受かったんです。

「絵」を続けていくために

「花の絵を描きたい」というところから始まっているので、日本画を専攻したのですが、基礎のないまま入っているので「一人だけすごく下手なやつがいる」という状態で(笑)。辛かったですが、当時の日本画専攻の教授の土屋禮一先生はじめご指導くださった先生方(※)のおかげで「絵っていいな」という気持ちはずっと持ち続けていました。

(※)百々 俊雅 教授、仁志出 龍司 教授、西出 茂弘 准教授(2004年当時)

けれど公募展に出すような絵は2m以上の大型作品も多く、私の場合は置き場所の問題で維持できず、残念ながら学生時代の作品は卒業制作も含め、全て「捨てる」ことになってしまいました。倉庫を借りている方もいるけれど、当時そんなお金もなく…。「これは絵を続けていけないのでは?」と思うようになって。そんな時に「染物なら、巻いて保管していけるのでは?」と思いついたんですね。

岩井さんの手元に残している数少ない日本画のひとつ

染みる/沁みる。染色固有の表現

そこで染色の先生に、大学院から染色に入れる可能性はあるのか尋ねてみたところ「いきなりは難しいけれど、一年染色のことをきちんと学んだ上で、可能性がありそうなら受けてみたら」とアドバイスをいただいて。卒業してから一旦就職していましたが、2007年から一年間勉強をして大学院を受けました。

「絵を続けるためには」というアプローチから「染色」の道に入っていったので、当初は「日本画の代替」として染色に向き合ってしまっていました。けれどある時、福本繁樹先生の『染色のアイデンティティ』という本に出会って。「染めとは“沁みる”ということで、それは“心に沁みる”という意味でもあり、しみじみとした感動を布に留めておくということ」といった旨の文章がすごく響いたんです。それは私の「“今”を留めておきたい」という制作動機ともリンクして。また、福本先生は「染色素材固有の性質を生かす制作こそが今後の染色の可能性をひらくと」とも主張されていました。そこから「日本画の代替」としてではない「染色特有の表現」というものに目覚めていきます。

「できない」から編み出した、独自技法

「線刻糊防染」とは元々あった技法ではなく、博士課程での研究の中で、指導担当の先生方(※)と意見交換させていただきながら名付けた、私のオリジナル技法です。「オリジナル技法」というとかっこよく聞こえるのですが、実際は「できること」と「やりたいこと」の間を埋めるように試行錯誤した結果生まれたもので。

(※)主査:大高 亨 教授、副査:加賀城 健 准教授、石崎 誠和 准教授、論文指導:渋谷 拓 准教授(2022年当時)

最初は布に絵を描く方法として「友禅」を試していたのですが、多くの場合、友禅は下絵通りに「糊おき(※)」をしていくので、一度引いた線は基本的には覆せません。この「覆せない」というところが、私にとっては、これまでやってきた絵の世界と勝手が違って、どうにも難しく感じてしまって。

(※)糊おき…友禅染の工程で、下絵の輪郭通りに防染のため糊を置くこと。

「できない…どうしよう…」と悩んでいた時に、当時は大阪にいらっしゃった加賀城健先生(現在金沢美術工芸大学教員)の存在を教えていただいて。加賀城先生も友禅と同じように「防染糊」を使うけれど、「糊と染料のせめぎ合い」ということを、より率直に見せていくような、身体的で伸び伸びとしたアプローチを感じました。「そういうやり方もあるのか!」と、自分なりの糊の使い方を模索するようになります。

通常の糊防染では多くの場合、型をつくって、そこに糊を置いていくのですが、私の場合は一点ものなので「一旦、型をつくらずに、直接彫ってみたらどうだろう?」と。糊を彫刻刀で彫ってみると、それが「呼吸と共に線を引く」感覚にもすごく似ていて。“その場における即興性”というものが、私が制作していく上で重要なので「これはいいぞ」と。はじめは布が切れたり大変でしたが、続けてみることにしました。

製作中の作品。全面に塗った糊を削っていく

失われるから、得られるもの

その彫った線に色をいれて染めていくのですが、この作業を繰り返していくうちに糊がどんどんひび割れてくるんです。その現象を「老化」と呼ぶのですが、その様子が、入院中に病室で見ていた花の姿と重なって。花はどんどん皺ができて、枯れていく。糊も割れて剥がれていくけれど、剥がれるからこそ、そこに色が染まるようになる。失われるから、得られるものがあるのだと。

そして「この瞬間」だけを見つめるということ。入院時も「この先どうなるのか」を考えると不安になるけれど、「今ここ」だけをみていると、何とか成立する。それは毎日花を描く中で感じたことでした。「今/今/今」を見つめ続けて、そしてそこで見た姿を、「線刻糊防染なら残せるのではないか」。私の中でこれまでの様々な経験が、つながった瞬間でもありました。

金沢美術工芸大学博士課程 学内展示「線刻糊防染による記憶の表現」

「自分」から「誰か」へ、ベクトルの変化

「忘れたくない」という気持ちが、私がものをつくる原動力になっているのですが、最初はそのベクトルが、どちらかというと自分向きだったんですね。「自分が消えてしまうのはいやだ」という。けれど、おかげさまでこうして今は元気に歳をとらせていただいていますし、気持ちにも少し余裕ができまして。もうちょっと“空間デザイン的な視点”というか、「この場所にはどういうものがあったら相応しいだろう」といった「絵を所有していただく」ということに対しての配慮のようなものもできるようになってきたように感じています。

「買っていただくもの」としての作品

それには、「アートフェア東京」に参加させていただいた経験が、すごく大きいです。
アートフェアに向けた作品づくりでは、実は素材も染料もすべて従来のものから変えています。販売に備えて染料の耐光堅牢度(※)の試験をしてみると、私が使用していた染料の一部が、比較的色褪せしやすいものだとわかったんです。アートフェアのような開かれた場で作品を「買っていただく」以上は、お客様が作品をどこに飾られるかもわかりませんし、できるだけ長い年月に耐えうるものでなければと考えました。ここではじめて化学を学んでいたことが役立ったのですが(笑)、日光に強いとされている染料を20種類ほど選び、工業試験場のご協力も得ながら耐光堅牢度を調べていきました。その結果、現時点で、線刻糊防染の観点からは、「含金染料」と「シルク」の組み合わせが良いことがわかりました。それにシルクは発色もすごく良くて。

(※)耐光堅牢度…紫外線に対しての染料の色褪せの程度を調べる試験

そしてディレクションを担当されていた原嶋さんからは、以前制作していた円状の作品が良いのではないかとお話をいただきました。今までは展示が主目的であり、身体と対峙する経験を優先して、巨大な作品を制作してきたのですが、このアートフェアでは、考え方を少し転換しました。お客様に作品を所有していただき、日常生活で、そばに置いて楽しんでいただきたいと考え、サイズを直径70cmから1m程度に設定しました。ちゃんと作品を買っていただけるようになったのも、このアートフェア以降のことなんです。

「アートフェア東京 2023」の、金沢クラフトビジネス創造機構ブース

作品をつくって生きていく肌感覚

今回「価格」についても相談させていただき、従来の価格帯から上げさせていただきました。以前の価格でさえ「買ってもらえるだろうか」とビクビクしながら提示していたので、値上げにはかなり勇気が必要だったのですが、「“これくらいにしないと売れない”とか、そういう値段のつけ方が一番良くない」「アート作品として纏うべき適切な価格というものがある」と原嶋さんはおしゃっていて。

実際にアートフェアの現場でお客様とお話をしていても、どなたからも「高い」とは言われませんでしたし、購入していただけた。アートフェア以降にいただいたお仕事でも「作品として所有する以上、自分がコレクションしていく作家の作品の価格はあがっていってくれた方がいいんだよ」とお客様に言われて、目から鱗が落ちました。
今回思い切って値上げに踏み切ってみて「頑張っていけば、作品をつくって生きていけるかもしれない」という希望を持つことができた。この肌感覚がつかめたことが、今年一番大きな変化と言えるかもしれません。

「信頼」が引き出す、予測できない挑戦

アートフェアを通して、ディレクターの原嶋さんはじめ、金沢クラフトビジネス創造機構の皆様からは「信頼して場を任せてもらうことの凄さ」を学びました。今年参加した作家3名は「全国単位では、まだ見つかっていない作家」だと思います。そんな私たちを、ほぼ個展形式のような形で取り上げてくださったというのは、とても勇気がいることだったはずです。
また、金沢クラフトビジネス創造機構は公の期間なので、今後同じ作家を取り上げ続けることはおそらく難しいでしょう。「だからこそ、この一回に賭けてみてほしい」という覚悟のような気持ちも、作家側は受け取りました。「その信頼に応えたい」という気持ちから、自分だけでは予測できないような、新しいチャレンジが生まれたのだと思っています。

入院中に始めた「花のスケッチ」は今も続けていて、毎日庭に咲く花などを描き留めています。「今この瞬間を忘れたくない」「覚えておきたい」という、個人的かつシンプルな動機で始めたものですが、誰かにとっても「あぁそうだなぁ」と思える瞬間を描けたら。そして「染色」というプロセスを通すことで、独特な表現物として人が存在する場に残していけたらよいなと思っています。
日々は静かに線を引きながらも、ご縁をいただいた時にきちんと応えられるよう、これからも地道な「筋トレ」を続けていきたいです。

(取材:2023年12月)

__________

岩井美佳 Mika Iwai

2001年 大阪大学工学部応用自然科学科応用化学コース 中退
2005年 金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科日本画専攻 卒業
2010年 金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科工芸専攻染織コース修士課程 修了
2022年 金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科美術工芸専攻工芸領域染織分野博士後期課程 修了
    学位論文「線刻糊防染による記憶の表現」

HP:https://some-draw.page/
Instagram:https://www.instagram.com/iwai_some_draw/

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