インタビューvol.9 橋本紗織さん

インタビュー

2023.05.24

今の時代にあった、私なりのやり方で

加賀藩御細工所に数人の竹工が従事していたといわれ、茶道具や華道の隆盛とともに発展していた「竹工芸」。ところが職人は減少の一途を辿り、今日では金沢市における「希少伝統工芸」の一つに数えられています。そんな中2001年に、後継者育成の目的で金沢市が立ち上げた「希少伝統産業専門塾」に「竹工芸コース」が設けられました。

今回インタビューさせていただいた橋本紗織さんは、同コースで竹工芸を学び、現在は講師という立場から竹工芸の継承に尽力されているお一人です。また、祖父に竹工芸の名匠・橋本仙雪さんをもつという出自ながら、ご本人自身は竹工芸と無縁の経歴から飛び込んだ職人の世界。店主を務めるカフェ「竹屋」との両立など、今日的な職人の在り方についてもうかがってきました。

橋本紗織さん
「菊網代盛器」橋本紗織

京都での出版社勤務、金沢でのカフェ開業

転勤族で石川県内を転々としていたので、金沢にあった祖父の家には時折遊びに行く程度でした。土間があり小上がりの作業場には作りかけの作品やたくさんの道具類が並んでいて。当時はその光景が特別なこととも思わず、そしてまさか自分が竹工芸を継ぐことになるとは全く想像していなかったですね。

大学進学とともに京都にでて、卒業後は京都の出版社に勤めました。私は多方面に興味があるタイプだったので「いろんな世界をのぞいてみたい」と、マスコミ職を志望しましたが、中でも「書く」ことが好きだったので出版業界を選びました。仕事でさまざまなジャンルの専門家や人、お店、場所を取材させていただけたのはとても貴重な経験でした。

出版社勤務も5年が経つ頃、祖父の自宅兼工房を建て直すことになり、両親が私を金沢に呼び戻すためでもあったわけですが、一階部分を喫茶店にするという話が持ち上がりました。特段料理が得意という訳ではありませんでしたが、飲食店を取材させていただく機会も多かったので、その経験も一つ背中を押してくれました。

兼六園からもほど近い、橋本さんが営むカフェ「喫茶竹屋」
お客さんがプレゼントしてくれたという「竹屋」模型
店内テーブル席にて

「竹屋」で目覚めた、竹工芸の魅力・祖父の偉大さ

「店名をどうするか」という話になった時に、「元々おじいさんが竹工芸をやっていた場所だから、『竹屋』はどうだろう」と。なんというか、痕跡がなくなってしまうのは寂しくて。当時すでに祖父は竹の仕事ができなくなっていましたが、せめて名前だけでも、ここで祖父が竹工芸を営んでいた名残をのこせたら、そう思ったんです。

店内に祖父の作品を展示するショーケースを設けたいという父の希望があり、展示の並べ替えを私が担当することになりました。そこで初めて祖父の作品と向き合うことになります。
当時の私は、作品が収められている桐箱や紐の扱い方も何一つ分からない状態でしたが、この頃存命だった祖父が一つ一つ丁寧に教えてくれました。

祖父はいつも眼差しが柔らかで、私にとっては「仙人」のような存在でした。白山市鶴来の出身で、東京で竹細工をしている叔父に誘われ、汽車に乗って初めて東京のお店へ遊びに行ったそうです。それまで竹細工といえば農家で使うカゴしか知らなかった祖父は、お店に飾ってある籠を見てびっくりし、まるで次元が異なる「工芸」としての竹の強さや素朴さ、崇高な美しさに惹かれて、「この道の第一人者になる」と16歳にして決心したそうです。「一つのことを最後までやり通せて幸せな人生だった」と私に語ってくれたこともありました。

店内の一角に設けられたショーケース
祖父・橋本仙雪さん。東京にて叔父の黒田道太郎氏に師事。世界的建築家ブルーノ・タウトからも薫陶を受ける
「唐網代提盤」橋本仙雪 作

幼い頃は祖父の作品にそんなに興味が持てなかったのですが、社会人になり、京都での様々な取材経験を通して、地味だなあと思っていた祖父の作品の良さに、だんだんと気づくようになっていたんです。そんな折に、日本伝統工芸展で祖父が受賞した作品を展示する機会がありました。箱から取り出したときに物凄く“オーラ”のようなものを感じたんです。なんというか“凄み”があった。この頃から、どんどん竹工芸というものに惹かれていったように思います。

中途半端な気持ちではできないから

「希少伝統産業専門塾」の竹工芸コースのことをその頃知ったのですが、申し込みをするか当初すごく悩みました。講師は祖父のお弟子さんでもあった本江和直斎先生が務めておられました。祖父の名前がある手前、中途半端なことはできないし、相当の覚悟が必要だなと。おこがましいですけれど勝手に自分で自分にプレッシャーをかけてしまっていたんですね。
ずっと逡巡していたんですけれど、祖父のことを抜きにしたとしても「やっぱり私は、竹工芸をやってみたい」と。それで決意しました。

希少伝統産業専門塾 竹工芸コースの授業風景

自分でやってみるまでは「祖父がつくるような竹工芸品はどうしてあんなに高いんだろう」と思っていたのですが、実際に学ぶようになり、その意味が身に沁みてわかるようになりました。とにかく手間と根気が必要なんです。
材料についても、日本の竹工芸品は、竹の「皮の部分」を使い、それ以外の部分はほとんど捨ててしまいます。よく百円ショップやホームセンターなどで売られているような海外製は、その「捨ててしまう部分」で作られているものが多く、それではカビやすく耐久性もない。本物の竹工芸品は、丈夫で竹ならではの艶がある。修理も可能なのでずっと使えるんです。

「竹網代茶籠」橋本紗織 作

作品に合わせて数百本、ときには千本を超える竹籤(たけひご)を一本一本作り、構図に合わせて編んでいく。自分の思い通りにはなかなかいかないので、作っている最中はすごく苦しいんです。それでもずっとやり続けているのは、やっぱり好きなんだろうなと。それに、当初は「出来上がったら嬉しい」ぐらいのモチベーションだったのが、気づけばどんどん欲が出てきて「もっと上手くなりたい、もっと上手くなりたい」と、作るものもより高度なものになっていきました。

ニッチな工芸分野だからこそ

希少伝統産業専門塾の竹工芸コースは毎週土曜日の午前中に開催されていて、最大6年まで在籍できます。6年と聞くと長いように思えますが、週一回なので年間で48回です。私は6年間では足りなかったですし、卒業した後もずっと竹工芸を続けていく覚悟でした。そのため本江先生から竹工芸コースの助手をやってみないかというお話をいただき、3年助手を務めた後、現在は講師をさせていただいています。

希少伝統産業専門塾で一人一人に指導する橋本さん

私が入塾した当初は、塾生は数名で、ご年配の方が多かったですね。ところが近年「手仕事」が注目されるようになったからなのか、年々申込者が増加しています。現在はあまりにも申し込みが多いために「後継者育成」という観点から、年齢制限をかけるまでに。そこはやはり“カルチャースクール”との違いなのだと思います。

専門塾で教える立場になって感じたことは、それぞれ年代も感性も違うので、互いに刺激し合い、学び合っている印象があります。緻密なタイプや、感覚的につくる方など、竹へのアプローチの仕方も各々違っていて面白いですし、アドバイスもそれぞれのタイプに合わせるようにしています。

竹を鉈で割り、竹籤も塾生自身がつくる

また、この塾の素晴らしいところは、竹工芸だけでなく、他の分野の方々との“横の繋がり”も生まれること。私が塾生として学んでいた時にも、平日に教室に作業をしに行くと他コースの同世代の塾生がいらして。一緒に作業しながら、他分野ですが技術的な質問をして教えてもらったり、そこでたくさんの刺激を受けることができました。お互いに卒業した後も繋がりは続いていて、今でも大切な存在です。

金沢で竹工芸を専業としている職人は少なく、ニッチな工芸分野ではあると思います。けれど、専門塾からも3年毎に卒業生を輩出していますし、この塾があるかぎり、金沢の竹工芸が途絶えるということはないと思っています。プロとして表には出なくても「竹工芸をやっている人がいる」ということが、ゆっくりと広がりをみせると思いますし、「どうやって竹を割るのか」「竹籤をどう作るのか」ということを具体的に知っている人材が金沢にいるということは、市にとっても財産なのではないでしょうか。

歴代塾生たちの作品図案がアーカイブされているファイル

竹工芸とカフェ。「兼業」というバランス感

カフェと竹工芸の両立に悩んだ時期もありました。カフェも素人から始めているので、料理教室やコーヒー教室、紅茶教室などのスクールを掛け持ちで通っていました。お店でもイベントや教室を企画したりと忙しく、スケジュール帳がびっしり…という状態が何年も続いていたのですが、専門塾の助手のお話をいただいた頃「もっと竹の仕事に集中したい」と、カフェの営業を週4日に短縮することを決めました。

竹屋の店内には、さりげなく竹細工の装飾が用いられている

同時に、カフェという場を営んでいるからこその出会いもあって。この間も「竹の研究をしている」という中学生の子が、話を聞きたいとお店を訪ねてくれたんです。「工房」となると、わざわざアポイントをとらないと入れないけれど、カフェなら気軽に立ち寄れる。また、「専門塾」は生徒さんだけに対象が限られますが、カフェで何気なく竹工芸の魅力に触れていただけたなら、間口がぐんと広がるのではないかなと。

いつも身近なところに祖父の作った花器などが自然と置かれていて、私自身は竹工芸を「特別なもの」だとは思っていませんでした。だから店にも特に意識せずに竹製品を取り入れています。竹って、和にも洋にも合うというか、意外とどんな場面にもしっくりくるんですよ。ここで竹製品を目にされて、オーダーをいただくこともあります。

ざっくりと編まれた竹籠の荷物入れが素敵
店内では、橋本さんが制作した竹の小物も一部販売

竹の仕事ばかりに集中していると、本当に一日中誰とも喋らずに篭ってしまうので、カフェという場があることで社会との接点を保てているというか。そういう意味では私にはこの“兼業”というやり方が、丁度良いのかなと感じています。

遠回りしたからこそ、見えること

工芸の世界には、私のように元々は全く違う仕事をしていて「やっぱり手仕事がしたい」と職人の道に入られた方が結構いらっしゃいます。高校を出てすぐ工芸の修行に入って…というほうが確かに「近道」なのかもしれないけれど、「いろんなものを見てきた」という社会経験があることが、作品に生きることもある。私にとっては、この「遠回り」も意味があったと今振り返ってみて思います。

そして金沢には身の回りに美しいものが溢れています。美術館などもそうですし、茶道を習い始めたことも私の中で一つ大きかったです。お茶の世界には各流派のお家元“好み”の道具があります。それは長い歴史の中で脈々と受け継がれ、各時代の人々によって「美しい」と認められたもの。その「普遍的な美しさ」に触れることで、審美眼が磨かれるという部分は大いにあると感じています。

でも、まだまだ足りない。もっともっと色んなものを観て、私は勉強しなくてはと感じています。
祖父の作品なども、軽やかに編まれているので「これだったら私にも作れるかもしれない」と挑戦してみると、作ってみたら全然違う。簡単そうに見せる、その技術の高さにいつも驚かされます。作品をつくるほどに、祖父が遠くなっていくようで落胆する。その繰り返しです。

「竹網代四ツ菱網飾箱」橋本仙雪 作

けれど、祖父のように「目標となる美」が自分の中にあることは、すごく恵まれたことだと思っています。今では日常の中で竹工芸を目にする機会も減っていて、多くの塾生が作例をSNSを頼りにされていたりします。だから私自身、もっと頑張って制作して展覧会にも出品し、“竹工芸の露出”というものを増やしていかねばと感じています。

祖父への道のりは、正直とても長く厳しいのですけれど、心意気だけは常に持っていたい。そして私は私なりの、現代にあったやり方で、少しずつでも近づいていけたらと思っています。

(取材:2023年3月)

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橋本紗織 Saori Hashimoto
大学卒業後、出版社勤務を経て2005年京都より金沢へ戻る。祖父で竹工芸作家「橋本仙雪」の工房跡地にて喫茶「竹屋」を開業。店内に飾る祖父の作品に触れるうちにその魅力に惹かれ、また希少伝統産業である竹工芸を後世に残したいという想いから、祖父の没後、金沢市の希少伝統産業専門塾竹工芸コースに入塾。本江和直斎氏に師事し、竹工芸の習得に励む。受講期間終了後は本江和直斎氏の助手を勤め、現在は伝統的な技法を用いたオリジナルの作品制作に励むと共に、希少伝統産業専門塾竹工芸コースの講師として技術の継承に尽力を注ぐ。金沢市工芸協会会員。

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