インタビューvol.28_川上明孝さん(金沢市立安江金箔工芸館 館長)
インタビュー
2025.08.25
“金箔のまち”をつくってきた、“職人の誇りと証”のシンボルとして
金箔製造におけるシェアが100%近い金沢市。そんな“箔のまち”のシンボルとなっているのが金沢市東山にある「金沢市立安江金箔工芸館」です。日本で唯一「金箔」に特化した博物館として知られ、国内外から多くの観光客が訪れます。昨年で開館50周年を迎え、さらに今年は金沢市に移管されて40周年、また東山に新築移転して15周年と節目の年にあたり、展示エリアが一部リニューアルされました。
毎年8月9日は「箔の日」ということもあり、今回のジャーナルでは安江金箔工芸館について、館長の川上明孝さんにお話をうかがいました。「金箔のまち」の座を築くまでの先人たちの知られざる奮闘から、いまなお受け継がれる地道な手仕事、そして先端産業としての金箔の可能性を探る研究機関まで、めくるめく「箔の世界」をご案内いただきます。

金沢美術工芸大学名誉教授。専門は哲学・美学

モットーは「職人の誇りとその証を後世に伝える」
ーーまずは「金沢市安江金箔工芸館」設立の経緯からお聞かせいただけますか。
川上館長(以下川上):はい。開館は1974年、金箔職人であった安江孝明さんが私財を投じて北安江町につくった「安江金箔工藝館」がその始まりです。安江さんご自身が元々骨董や美術工芸品に関心があり、収集した作品の公開を考えられたのです。
また、この館にはモットーとなっている言葉があります。それは「職人の誇りとその証を後世に伝える」というものです。ご自身も金箔職人として誇りを持って仕事されていたことが伝わってきます。館内では金箔を用いた美術品だけでなく、箔製造に用いる道具やその工程なども一緒に展示されていて、そのスタイルは市に移管された現在も受け継がれています。

「金箔のまち」のシンボルとして、まち全体の想いが結集した場所
ーー川上さんご自身は、こちらで館長に就任されてもう10年になるそうですね。
川上:私は元々哲学や芸術学を美大で教えていたのですが、定年後に安江金箔工芸館の館長就任についてお声がけいただきました。なので「第二の人生」をここでスタートしたような気持ちです。館長に就任するからにはと、金箔のことを私なりに改めて勉強し直しました。
その中で感じたのが、やはり“安江さんの功績”ですね。今でこそ金沢は「金箔の街」というイメージが定着していると思いますが、この館がなければそのことがなかなか皆さんに伝わらなかったと思うのです。
ーー金箔の製造現場自体は人々の目にふれる場にはありませんからね。
川上:目にみえる“シンボル”としての場があることで「金箔の街なんだ」と人々は認識できる。その“はじまり”をつくった人が、やはり安江さんなのです。
その安江さんの想いを金沢市が受け継いで、藩政期から金箔産業が盛んであった東山に新築移転したという経緯がある。個人の想いと、行政のサポート、そして「金箔」というものをまち全体で支えていこうという気持ちが結集しているのが、この館だと思うのですね。現在では観光バスが何台も連なってやってくるようになり、また海外からもたくさんのお客様が訪れてくれるようになりました。

禁じられた「箔打ち」、途絶えた「技術」
ーー安江金箔工芸館のホームページを拝見していて、金沢が「金箔のまち」になるまでの道のりは順風満帆なものではなく、むしろかなりの“紆余曲折”があったことを知りました。その歴史について、改めてお聞かせ願えますか?
川上:そうですね、大きく言えば二度ほど「箔が打てない」時代がありました。一つは江戸時代の「箔打ち禁止令」。もう一つは第二次世界大戦中に金属が不足し箔が打てなくなった。そういう時代を乗り越えて今の金箔業界があるということです。

川上:遡ると約400年前、16世紀末に前田利家公が加賀藩の中で「箔づくり」をさせたことが文献に残っています。それ以前にも能登や金沢で金箔や銀箔が打たれていたであろうと推測はされますが、記録に残っているのはこの時点です。
そして江戸時代に入ると、江戸に「箔座(※)」ができ、「箔を打ってはならない、売ってもならない」という趣旨の禁制が敷かれます。もちろん加賀藩も例外でなく、ここで一度箔打ちはおよそ100年間途絶えたと考えられています。
(※)箔座…江戸幕府が設けた金銀箔の生産・流通を統制するための機関。

もう一度「技」を自分たちの手に。一からの学び直し。
川上:しかし1808年に金沢城の二の丸が全焼します。その修復のために大量の金箔や銀箔が必要になりましたが、金沢では箔打の技術が途絶えてしまっているわけですから、京都から職人を呼んで金箔をつくらせたわけです。それを見ていた金沢の人たちが「もう一度自分たちで箔を打ってみようじゃないか」と意気込んだ。けれど一度途絶えた技術を再び習得するというのは並大抵のことではありません。そこで仲間を京都に送り、もう一度箔づくりを「学び直す」わけです。
それから約10年後、兼六園内に「竹沢御殿」が建設された際、そこで使われた金箔は全て金沢の職人が打ったものであることが分かっています。つまり、10年ほどの間に、もう一度「技」を完全に自分たちのものにしたわけですね。とはいえまだ禁制は続いているわけですから、これは「隠れ打ち」だったといえるでしょう。

ーー江戸に箔座があり、かつ技術も京都から教えてもらったという状況の中で、今現在「金沢」が箔製造のシェアトップに立っているのはなぜでしょう?
川上:まず幕府が無くなった後は、お膝元の江戸では「箔座」がなくなります。ここで江戸の箔づくりが衰退する。また幕府の直轄地である京都では、幕府がなくなった後も箔打ちは続いていましたが、昭和の中頃には途絶えました。理由は推測でしかありませんが、おそらく京都の人は「箔をつくる」よりも「箔をつかう」方に利があると考えたのではないでしょうか。京都では今日も箔を使った工芸品はたくさん作られていて、そこで金沢でつくられた箔が用いられているという現状です。

箔を打ちたい。不屈の職人達による幕末の“運動”
ーーなるほど、では江戸でも京都でも箔づくりが途絶えた中で、どうして全国で金沢は箔づくりを続けていくことができたのでしょうか?
川上:一ついえるのは、江戸の終わり頃における「金沢の職人や町人たちの活動」が大きかったと思います。彼らは幕末に「箔を打ちたい、箔を売りたい」という運動を展開していたのですね。箔打ちに対して禁制が敷かれている中でも、彼らは城外に細工場を設けて「銅箔」や「錫箔(すずはく)」を打っていた。禁止されているのは金箔や銀箔の製造ですから、銅や錫は打てたんです。また、江戸から運ばれてきた金箔の中で壊れたものの「打ち直し」というのも隠れてやっていた。つまり禁制中も、虎視眈々と技術を磨き、広い意味での「箔づくりの基礎」をこの頃に築いていたということですね。
そして御触れが解かれた途端に江戸の箔打ちが衰退していく中で、金沢の金箔が相対的に生産量を増やしていくことができた。これが今日の箔産業の礎になっていると考えられます。
ーー手薬煉を引いて準備していたからこその“形成逆転劇”だったのですね。

「今日の箔産業があるのは、先人達の功績あってこそ」
ーー金沢は城内に「御細工所」もありましたし、工芸全般が保護されてきたという文脈の中で「金箔の隆盛」があったのかと思っていましたが、意外にも「禁制下」さらには「城の外」での市民活動という、いわば“反骨精神”に支えられてきた産業だったのですね。
川上:ええ。他の地域で箔づくりにまつわる町人の運動があったという話は、私はまだ聞いたことがありません。
ちなみに卯辰山には「箔業祖記功碑」というものがあります。幕末に箔打ちを学び直した人々、箔の自由販売・製造運動を展開し、細工場を作って箔打ちの技術を磨いた人々ー‥。彼らこそが金沢の箔産業の基礎を築いたのだと、その功績を讃える石碑です。
ちょうど昭和の初め頃に建てられたものなのですが、その頃というのは金沢の箔産業が栄えていた頃ですね。「今日の箔産業があるのは、幕末の先人達のおかげである」という想いから箔産業に携わる人々によって建てられたのです。

ーー箔産業としての隆盛を、自分たちの努力や功績と驕らず、先人達の労をねぎらう箔職人の皆さんの姿勢というか視座が素晴らしいですね。
川上:そうですね。今でも毎年8月9日の「箔の日」には、石川県箔商工業協同組合の皆さんが記功碑にお参りをして、その後に宇多須神社で「箔打奉納」をしています。
そういう意味ではこの安江金箔工芸館も、先人の功績や職人の誇りを伝えるという“大きな流れ”を形成しているといえるかもしれません。

金箔の価値と魅力を、丁寧に伝えていく使命
ーーこうして脈々と受け継がれ、金箔製造シェア100%近くにまで上り詰めたわけですが、同時に金箔の需要減少は続いていて、箔業界自体が縮小してきている現状があると思います。職人さんも減っているとうかがっています。
川上:そうですね。生産量としては金箔が一番売れた時期の「10分の1」を下回っている状況です。やはり「仏壇が売れない」ということが大きいですね。工芸品やソフトクリームでも金箔を頑張って使っていますが、それだけではとても追いつかない。寺院の修繕などにも金沢の金箔は用いられますが、毎年需要のあるものではありませんから。


川上:とはいえ私自身は金箔の商売をできるわけではありませんから、せめてこちらにいらしたお客様に「金箔がどのようにつくられているか」「どれだけ手間暇がかかっているか」、そして「実際どのように使われているか」ということについて、丁寧に説明して見ていただく。そして関心を持っていただく。私にできることは、それに尽きると思っています。
団体のお客様がご来館の際に館の説明を希望される場合には、国内外問わず案内をしています。館長というよりも、私のここでの仕事は「案内係」だと思っています(笑)。
ーー新しくなった展示スペースも含め、よければ私たちも館長にご案内いただくことはできますか?
川上:いいですよ。では早速参りましょうか。

歴史のつながりを感じながら
川上:ここからが常設展示室です。入り口には箔をスクリーンに見立てて映像を投影しています。そしてスクリーンの周辺に散りばめられた言葉は、移築前のかつての安江金箔工藝館を訪れた人々が、「金箔」から受けたイメージを書き残したものから抜粋して使われています。こういったところからも、館としての歴史がつながっていることを感じていただけると思います。

川上:常設展では、箔づくりの工程を、実際の道具と合わせて展示しています。展示物としてはあまり目立たないかもしれませんが、ここにある道具が箔づくりを語る上で非常に重要なのです。

川上:特に私が毎回力を入れて説明しているのが「紙仕込み」の工程です。これらはほとんど表には出てこないものですが、この紙がないと「10000分の1ミリ」の薄さの金箔にはならないんですね。


「箔づくりは、紙づくり」
川上:特に縁付金箔の箔打ちに用いられる紙は伝統的な技法で漉かれた雁皮紙を、職人が細やかに「調整」します。まず稲藁を燃やした灰から灰汁をとり、その灰汁の中に柿渋と卵を入れて雁皮紙を漬け込む。その後に丸太で紙の水分を絞り出して、さらに機械にかけて何度も何度も叩いていく。叩いていくと紙同士がくっついてしまうので、一枚一枚剥がして乾かして、また叩く、を紙がくっつかなくなるまで続けます。このルーティンを、灰汁漬け、絞る、叩く、剥がす、乾かす、くっつかなくなるまで叩くー‥これを3回繰り返すわけです。この工程だけでも最低でも3ヶ月かかります。
そしてようやく「箔打紙」として使用できるようになるわけですが、4-5回使うごとに「調整」が必要になるので、また同じ作業をするわけです。


ーー気の遠くなるような作業ですね。現代でもこのような作業が必要なのでしょうか?
川上:そうですね、現代でも縁付金箔の製造には欠かせないもので、調整は箔職人自身が行っています。なので箔職人は一年の半分は「紙のお世話」をしているわけです。金沢で「箔づくりは紙づくり」といわれる所以ですね。
それくらい箔職人達は紙を大切にしてきました。箔打紙は計20回ほど使用して、最後は「油取り紙」となってご奉公します。ちょうど東山は「花街」でした。芸妓さん達が箔打紙を油取りとして使い始め、それが世のご婦人方に広がっていったといわれています。
金箔の多様な表情を味わう、館を代表する作品
川上:続いて50周年を記念して新しくなった展示スペースですね。こちらには館を代表するような、金箔を用いた作品を並べています。まずこちらは能衣装。江戸末期につくられたものです。


川上:こちらは「金糸(きんし)」といって、和紙に漆を接着剤として金箔や銀箔を貼って「糸」として使えるようにしたものです。

川上:こちらは館の中で最も古い作品。室町時代の初め頃に制作された十一面観音像です。お顔と体は金箔を溶いた絵の具で塗られ、衣には「截金(きりかね)」という技法が用いられています。


川上:その他にも、金・銀箔を貼った象嵌の壺や、色鮮やかな金襴手の薩摩焼、九谷焼の釉裏金彩など、多様な形で金箔が用いられている作品を展示しています。

「良い使い手」がいてこそ輝く、金箔の魅力
川上:企画展示室では、現在、夏季展として「ガラスと金箔」を開催しています(※2025年9月22日まで)。毎日暑いですからね、少しでも涼やかさを感じていただけるようにとの思いです。

ーーガラスと金箔というと、ちょっと意外な素材の組み合わせですね。箔がちぢれていたり、マットな表情になったりー‥皆さん金箔を用いた独自の技法を展開されていて面白いです。
川上:そうですね。金箔はそのままでも美しく工芸品としての品格があると思いますが、同時に「素材」でもあるわけです。「良い素材」も「良い使い手」がいてこそ輝くということですね。

加飾だけではない、産業としての新たな可能性
川上:この他にも、館内には「金沢箔技術振興研究所」も設置されています(※一般の方は入れません)。これは金沢市が箔業界を支援するために設置した外部組織で、研究者や大学機関と連携しながら研究を進めています。
これまで「加飾」として用いられることが多かった金箔ですが、工業的にも応用できないか、そういう研究にも取り組んでいます。

ーー「産業としての金箔」の現代における可能性を模索されているのですね。
川上:現代の生活にも通用する、新たな金箔の需要を喚起することは喫緊の課題です。さらに箔打ちの伝統技法を保存継承すること、また過去の金箔の組成分析や文献的調査なども、金沢箔のブランドを保つために欠かせません。そういったことを通して、受け継がれてきた金箔が後世に続いていくことを願っています。

(取材:2025年7月末)
_________
金沢市立安江金箔工芸館
住所:〒920-0831 石川県金沢市東山1-3-10
HP:https://www.kanazawa-museum.jp/kinpaku/
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