インタビュー vol.36_二股裕さん(二股製土所 代表)

インタビュー

2026.06.26

「変わり続ける時代」に「変わらない粘土」をつくり続ける

【目次】
・独学で探求してきた粘土づくり
・粘土への“愛”。“いのち”をいただいて生まれる作品
・粘土づくりは、“山”を知ることから
・枯渇しゆく原料と、止まらぬ値上がり
・工場の“心臓部”ともいえる「スタンパー」
・清らかな水で、粘土分だけ取り出す「水簸」
・「守ってきたというよりも、結果的にこのやり方が一番良かった」
・職人や作家の声で形づくられてきたスタイル
・「こんで終わりやな」。二度の災害を乗り越えて
・「いい粘土」ではなく、「変わらない粘土」を

石川県を代表する伝統工芸の一つ、九谷焼。その制作に欠かせないのが、小松市で採掘される「花坂陶石」からつくられる磁器陶土(粘土)です。しかし、その粘土を製造する製土所は、現在県内にわずか2軒しかありません。
今回訪れたのは、そのうちの一軒である「二股製土所」。同行いただいたのは、「二股製土所の粘土から“いのち”をいただいて作品をつくっている」と語る色絵磁器作家・田辺京子さんです。「スタンパー」と「水簸(すいひ)」による昔ながらの製法を守り続ける二股製土所。その粘土は伸びがよく、「ろくろ」「型打ち」「手捻り」など、手で行う成形に適していることから、素地づくりから自身で行う作家に愛用されています。インタビューでは、同社の歴史や粘土づくりへのこだわり、そして災害を乗り越えて事業を続ける思いについて、代表の二股裕(ゆたか)さんに話をうかがいました。

作家の田辺京子さん(左)と、二股さんご夫婦(中:慶子さん、右:裕さん)

独学で探求してきた粘土づくり

透き通った水がさらさらと流れる仏大事川(ぶつだいじがわ)。二股製土所の工場は、この川に沿うように建て増しが繰り返された細長い建物で、川の水をそのまま引き込める構造になっています。

「この川は湧水なんですよ。うちの粘土づくりは“水”が良くないとだめ。だから初代からずっと、仏大事川のそばに工場を構えてきました」。

そう語るのは、二股製土所4代目の二股裕さん。現在の工場は、かつて銅山のトロッコ置き場だった建物を改修したものだといいます。九谷焼だけでなく、この土地に積み重なった産業の歴史も感じさせる場所です。

工場の横を流れる仏大事川。湧水で上流のエリアでは飲めるところもあるそう
奥へ奥へと伸びていく工場

大正11年(1922年)に創業した二股製土所。京都で銀行員をしていた初代・二股徳兵衛氏が、鉱山分析の仕事をきっかけにこの地へ移り住み、機織り事業に続いて目を付けたのが、当時勢いがあった地場産業「九谷焼」でした。

「曾祖父は俺と違って頭が良かったらしいんだけど(笑)、銀行員は性に合わなかったみたい。どうやって粘土づくりを学んだのかはわからんけど、いろんな人に聞きながら探求していったんじゃないかな。うちの親父もそう。いろんな方法を自分で試して、機械まで自分でつくっていました」。

裕さん自身も、京都の陶芸工房で修行を積んだ後に小松へ戻り、家業を継ぎました。「若い頃はほかにもやりたいことがあったけど、継げるのは俺しかおらんだろうと」。ろくろの技術も、粘土づくりも「教わった」という感覚はないといいます。「なんでもそうやけど、全部見て覚えたね」。

二股裕さん。京都で陶芸を学び、今でも自ら素地を挽くことができる。だからこそ、作家が求める粘土の“良し悪し”を身体感覚として理解できる。

粘土への“愛”。“いのち”をいただいて生まれる作品

「ほんでも“おにいちゃん”が戻ってきてくれて、本当に良かった」と語るのは九谷焼作家の田辺京子さん。
田辺さんは先代の頃から二股製土所の粘土を使い続けており、その名残で先代を「お父さん」、裕さんを「おにいちゃん」と呼んでいるそう。

「お父さんも本当に研究熱心な人でした。粘土はもちろん、粘土に合う釉薬まで開発されていて、人にはわからないような細かいレベルまで、採算度外視で突き詰めていく。その姿から“粘土への愛”というか、“バイブス”のようなものをビシビシ感じていました」。

「二股さんの粘土は多少荒く扱っても大丈夫。作った素地を天日で乾かすことも」と語る田辺さんに「おっとろしいことしとるな〜!やめてや〜!」と悲鳴をあげる裕さん。二人のやり取りも微笑ましい

エネルギー溢れる、独自の九谷焼表現で知られる田辺さん。素地づくりから絵付けまで、全て自身で行っている田辺さんにとっても、二股製土所の粘土は「なくてはならないもの」だと語ります。

「粘土の伸びがよくて、挽き心地が本当にいいんです。そして不思議なくらい硬くならない。その分、焼き上がりの収縮率が大きいという特性があるのですが、そういった“焼き上がりの楽しみ”も含めて二股さんの粘土の特徴だと思います。一時、水害で二股さんの粘土が使えなくなった時に色々と他も試してみたのですが、なんだか物足りなくて。私は二股さんの粘土から“いのち”をいただいて作品を作っていたのだと、改めて感じました」。

田辺さん作のカレー皿。自ら作る素地の上に絵付けを行うことで独特の作風が生まれる

最盛期には11軒あったという粘土屋も、今では二股製土所ともう一軒のみ。
それぞれの粘土に特性や用途ごとの向き不向きがあり、ある意味で棲み分けがなされています。九谷焼という裾野が広い産業を、たった2軒の粘土屋で支えているという重責。もしどちらかに何かがあったら「お互い困る」という状況です。

「自分の作りたい作風に合わせて、“粘土を選べる”ということが大切。この環境がなくなってしまうことは、作家にとっても死活問題です。二股製土所の粘土を使っているのは個人作家が多いので、使用量が少なくて採算が合わないのではないかと、私がハラハラしているほど(笑)。二股製土所はなんだかとっつきにくそうに見えるかもしれませんが、全くそんなことないので、ぜひ一度使ってみてください!(田辺さん)」

作家の好みに応じて、粘土の柔らかさなども調整してもらえます

粘土づくりは、“山”を知ることから

二股製土所の粘土はどのようにして生まれるのか。現場をたどりながら教えていただきました。

「まずは陶石を山から採ってくるところから。実はここが一番難しい」と裕さん。九谷焼の主原料である「花坂陶石」は小松市花坂町にある「木和田(キワダ)山」と呼ばれる原石山から採掘されています。九谷焼特有の少し青みがかったような白磁は、この陶石でなければ生まれない“白”なのです。

花坂陶石。白い陶石ながら、採掘されて酸化した部分がオレンジ色になってくる

「同じ山でも、層によって性質が違うんです。採る場所が少し変わるだけで、陶石の性質も変わってしまう。だからまずは“山”のことを知らないといけません」。

陶石の性質が変われば、焼成後に赤い斑点が出たり、作品の仕上がりに影響が及ぶこともあるそう。

「以前、『なんだか石がおかしいな』と感じて業者に確認したら、指定した場所とは別のところが掘られていたことがありました。それ以来、採掘には必ず山に行って立ち会って、自分の目で確認しています」。

“原料”というと、どこか定量的に調整できる世界を想像してしまいますが、実際の陶石は圧倒的な自然物。山の状態を見極める“山師”のような知識と経験が欠かせないのです。

一つ一つ「わかるかな?」と、取材陣の理解度を確認しながら説明してくれる裕さん

枯渇しゆく原料と、止まらぬ値上がり

昔の九谷焼では、山から採ってきた陶石だけで粘土をこしらえていた時代もあったというほど粘性が高い花坂陶石。そこに、粘土としてさらに挽きやすく、かつ焼き上がりの品質をあげるために、蛙目(がいろめ)粘土やカオリンなどを配合していきます。

岐阜まで運転して受け取りにいっているという蛙目粘土

「蛙目粘土は以前は瀬戸から仕入れていたんだけど、採れなくなってしまってね。今は岐阜まで取りに行っています」。

さらにカオリンに至っては、より遠方のドイツから輸入しているそう。「燃料代も上がったし、船便も高い。でも、これがないと粘土ができんから仕方ないわね」。

原料の枯渇と高騰。粘土づくりもまた、社会情勢や資源問題と直接的に影響を受ける業界なのです。

船便でドイツからやってきたカオリン

工場の“心臓部”ともいえる「スタンパー」

粉砕機で細かくした陶石は、工場の“心臓部”ともいえる「スタンパー」へ送られます。スタンパーとは、大きな杵のような装置で陶石を砕く機械。工場内に「ドン、ドン」と響く重低音は、まるで鼓動のようです。

ずらりと並んだスタンパー
この粉砕機も先代が独自に作ったもの

「粘土の可塑性を高める上で、この工程がとても大事なんです」と裕さんは説明します。スタンパーで突き続けることで、細かい粒子から粗い粒子までが均一に混ざり合い、独特の組織が生まれるのだそうです。

「顕微鏡で見ると、粒子が石垣の石みたいな形をしているんですよ。その多角形の粒子同士がしっかり組み合わさることで、伸びが良くてへたらない、コシのある粘土になるんです。色々試したけど、やっぱりこれ(スタンパー)でないと、この石垣みたいな組織にはならんのです」。

清らかな水で、粘土分だけ取り出す「水簸」

スタンパーを経て粉状になった陶石は、次に「水簸(すいひ)」の工程へ進みます。水簸とは、原土を水と混ぜながら不純物を取り除き、粒子の細かい粘土分だけを抽出する伝統的な精製方法です。

「水簸は、水が澄んでいる時でないとできない。だから川が濁っていたら、急いでいても絶対やらんね」。工業用の水となるとその性質はあまり問われないのかと思いきや、水が清らかであることも、二股製土所の粘土づくりには欠かせない条件なのです。

工場の中には仏大事川からの水が流れこんできています

水簸もまた、スタンパーに並び二股の粘土の特徴を生みだしている重要な工程。可塑性が高い粘土分だけを取り出し、非可塑性原料である長石や珪石を取り除くことで、伸びが良くコシがある粘土が生まれます。
一方で焼成時の収縮率は大きくなるという特性が。「収縮があることは粘土分だけを取り出している以上、避けられません。これも含めてうちの粘土の特徴やね」と裕さん。

成形して乾かしたものと、釉薬をかけて焼いたもののテスター。「乾燥するまでに1割、素焼きと本焼きの時にさらに1割縮む」とのこと

「守ってきたというよりも、結果的にこのやり方が一番良かった」

陶石を杵で砕き、水簸で粘土分を抽出する。随分と素朴な製造方法に見えますが「いろいろやってみた結果、やっぱりこの製法に辿りつく」と裕さん。

「守ってきたというよりも、“結果的にこのやり方が一番良かった”という言い方になるのかな。もっと効率的にならんかなとか、これまで私も色々試してきたんです。でもダメやった。粘土が変わってしまうんです」。

二股製土所の変わらぬ製法は、ただ「伝統だから」とそのまま守ってきたわけではなく、様々な試行錯誤の末に、結果的に辿り着いたかたちでした。

水簸した粘土分は、「フィルタープレス」というアコーディオン状の機械で水分を絞ります
出荷を控えた粘土。水分が逃げぬよう、ぴっちりと一つ一つ包まれています

職人や作家の声で形づくられてきたスタイル

現在、量産向けの九谷焼では「トロンミル」と呼ばれるミキサーのような装置で原料を混ぜ合わせてつくる粘土が主流です。スタンパーと水簸による製造方法の約⅓の時間で製造することができます。型離れがよく、鋳込み成形に向いている一方で、粘性の部分では劣ります。

「うちもトロンミルでやってみた時期があったんやけど、お客さんに『いらん』と言われたんですよ(笑)。当時はろくろ師さんや、大皿みたいな大作を手捻りでつくる人も多かったから、彼らには挽きやすさが何より大切。『二股は他と同じもんをつくらんでいい』と言われて、以来つくるのをやめました」。

二股製土所の現在の業態は、作家や職人達の声によって形づくられてきたものでもあったのです。

「こんで終わりやな」。二度の災害を乗り越えて

そうして長年探求を続けながら粘土づくりに励んできた裕さんですが、事業をやめようと思ったことが実は二度ありました。
一度目は2018年の豪雪。工場の屋根が雪の重みで押し潰された時。そして二度目は2022年の記録的豪雨による水害。工場は浸水し、水簸場は土砂で埋まり、機械も被害を受けました。

2018年の豪雪で押し潰された工場(左)
2022年の記録的豪雨の際の仏大事川(右)

「豪雨の時はさすがに『こんで終わりやな』と思いましたね」。

しかし、その直後から状況は大きく動きます。失意に浸る間もなく、粘土を卸してきた作家や工房の社員たちが、次々とボランティアに駆けつけたのです。

「泥だらけの工場に躊躇せずに入って、靴も服も泥々になりながら作業してくれて…。まだコロナ禍でもあったというのに、大勢の人が来てくれてね。本当にありがたかったです」と妻の慶子さんも振り返ります。

二股慶子さん

その姿を見たとき、裕さんの中で覚悟が決まりました。「これで『やめます』なんて言ったら、末代まで言われ続けるわ(笑)」。そう笑いながらも、その言葉には重みがあります。

「一人でも粘土を使う人がおるなら、その人のためにつくり続けんなん。そう思ったね」。

「いい粘土」ではなく、「変わらない粘土」を

最後に「二股さんにとって“いい粘土”とはどんな粘土ですか」と尋ねました。少し考えた後、「『いい粘土』じゃなくて、『変わらない粘土』をつくりたい」と答えた裕さん。

「変わらないものをつくり続けるって、単純なことに見えるかもしれないけど、これが一番難しい。山でもなんでも、よーブレるんやって。ほんでも何とかして、ブレのない粘土をお客さんに届けていきたいね。
作家さんや職人さんて、“センサー”みたいに手が敏感やから、ほんの数%成分を変えてみたただけで『粘土触ったか〜?』ってすぐに気付かれる(笑)。『いや、触っとらんけどな〜』『あれ、ほんなら俺の手がおかしいんかな〜』なんてやりとりを、昔ようやってました」と懐かしそうに振り返る裕さん。

「粘土屋って、褒められることはないけど、苦情だけは来る仕事やね」と笑いながらも、その眼差しからは粘土への尽きることない愛情が伝わってきます。

陶石の状態も変わる。原料も減っていく。価格も上がる。社会も、九谷焼を取り巻く環境も変わり続けていくー‥。それでも、作家が粘土に触れたときの感触だけは変えてはいけない。

二股製土所が守り続けているのは、単なる製法ではありません。変化の激しい時代の中で、九谷焼を作り続けるための土台そのものなのです。
(取材:2026年5月)

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二股製土所
住所:〒923-0065 石川県小松市立明寺町128
電話:0761-47-3123
HP:https://futamataseido.jimdofree.com/
Instagram:https://www.instagram.com/futamata_nendo/

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